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松田桃香園は創業三百有余年の歴史を持っております。
江戸時代からお茶の伝統を守り続けている松田桃香園の歴史をご紹介いたします。 |
■松田桃香園の元祖 |
松田桃香園は、幕府御用茶師(幕府に指名された茶師)喜多立玄を祖としています。喜多立玄は寛文九年(1669年)に、江戸幕府の御茶壷茶詰の儀を行ったとされています。
御茶壷茶詰の儀とは、その年に採れた新茶を茶壷に詰める儀式のことです。このこともあってか、遠くは山形藩主秋元家にも納めさせて頂いていたようです。そして、松田桃香園の初代にあたる茶屋伍兵衛(1617年誕生,1705年に没す)は、このとき宇治茶を生産しており、屋号を本家喜多家よりあやかって“北”の暖簾(のれん)をあげ、松田桃香園を開業しました。
伏見奉行所の役人をさせて頂いていた七代伍兵衛は、御代官様より名字・帯刀を許され松田伍兵衛と名乗り、今日で十三代に至っています。 |
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■伏見の松田桃香園 |
松田桃香園は、伏見城が築城されるさい、商業で栄えた伏見の町に、幕府のご指名を受け開業しました。築城に必要である瓦屋・材木屋などと同じく、働く人々の疲れを癒す茶屋として必要とされていました。松田桃香園は、伏見城と共に歩んできた、伝統ある茶屋です。 |
■松田桃香園と宇治茶 |
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松田桃香園は、全国の煎茶道の中心ともなっている京都宇治の黄檗山萬福寺にご指名頂いている宇治茶を販売しています。この黄檗山萬福寺は、中国明末の高層隠元が招かれ来朝、幕府や朝廷の尊信を集めて創建した寺院です。中国文化の移入にも大きな影響を及ぼし、煎茶の伝来にも影響を与えました。黄檗山には、売茶翁をまつる売茶堂があり、社団法人全日本煎茶道連盟本部がおかれています。 |
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